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「血」を採る父

= ゆんたくさん =

いつも参考になるこのコーナーに初投稿させていただきます。
実父の行動に悩んでいます。
「ユタ事」なのかな…と思ったり…どうにも私の頭では理解出来ません。

皆様からのアドバイスをよろしくお願いします。

父は巳年生まれの91歳です。
「ブーブー」という民間療法に似ていますが、父は安全カミソリの刃を折った先端で足に傷を作り、そこから搾り出すように「血」を採ります。ですので、足中カミソリ傷だらけで、ひどい箇所は大きなやけどのように皮がただれていますが、「血」を出す出口なんだ・と言い張り、止めてくれません。

年齢よりも若く見えますし、自炊・身の回りの事もしっかりやるのですが、
この「血」を採る行為がひどいのでフラフラする・と言いながらも止めずに毎日を過ごす父なのです。

私が幼い頃から、たまに見かけていた父の行為なのですが、ここ4?5年前からは頻繁にやり出し、2年前には極度の貧血による心臓肥大になり、夜間外来に行った病院で緊急入院になりました。

しかし、その病院の男性医師やナースに心無い行為や治療拒否のような状態にされ、一夜のうちに容態は急変しました。
意識不明になってしまった父の元に医師は駆けつけず、失禁し続ける為にベッドや寝巻きを見ても、取替えを拒否した後夜勤のナースに怒りとショックを受けた私でしたが、
「このまま三途の川に行かせてなるものか!」と必死に父のそばで夜が明けるのを待ち、その病院から旧県立那覇病院に転院させました。

「高齢なので、覚悟はしてください」
と、主治医に言われましたが、助けていただきました。
3日後に意識を回復した父でした。
偶然にも、緊急入院した日は旧暦の1日でしたが、退院した日も旧暦の15日でした。

入院した日は覚えていないのですが、この1日・15日を忘れることなく記憶しているのは、父の不思議な発言があったからなのです。

私の母は他界しておりますので、ヒヌカンは母亡き後、父が1日15日ウサギています。しかし、緊急入院する日の朝から体調も悪かったのでヒヌカンのことを何も出来なかった父は意識が無くなる前に私にこう言いました。
「今日は1日だから、家に戻ってヒヌカンにお水と線香をウサギないといけないから帰る」
でも、着替えを取りに戻ることも出来ず、そのまんま病棟に上がらされました。
なので、父は「ヒヌカンにウサギられなかった事をお詫びをして、早く元気にしてください・って言いに家に行きなさい」と私に言いつけました。

日頃は母が残したヒヌカンだのに・とか、男は触らんよ本当は・とか、結構沖縄の伝統やユタ事には批判的な父なので、正直びっくりしました。
しかし、意識不明になった父のそばから離れられず、実際に私がヒヌカンに手を合わせられたのは転院後でした。

私もこれまで持病と長いお付合いをしておりますので、緊急入院した病院の行為は本来ならばありえない行為なのですが、振り返って思い出すのは「恐ろしい夢」を見たような息苦しい密室での一夜で、あの時の医師やナースの態度や目つき、行動はホントに医療従事者なのか?という程、変でした。
あんな病院に父を連れて行かなければ、あんな悲惨な思いをしなかったのにな…と今でも後悔しています。

あれから2年経ちますが、相変わらず父は「血」を採り続けています。
大喧嘩してまで父を止めますが、聞いてくれません…

「採らないといけない、この血は悪い血なんだ、全部悪い血が無くなるまで採らないといけない。血が教えてくれているのだから、ありがたいのに何故、止めようとするのか?黙れ!!」

日々の生活で、父のこの行為と言葉が私の心をかき乱します。

「これは、父さんのステータスなんだから仕方が無い」
と何度も自分に言い聞かせて諦めようともしますが、この「血」を採る行為さえしなければ、病気も無く健康診断でも「優等生」の父なのです。

「血」に係わる何かがあるのでしょうか…
やるべき事、やってはいけない事、それは私になのですか?
毎日、「血」「血」「血」と言う父には疲れました。

教えてください。お願いします。
父とまだまだ人生を送りたい私は悩んでいます。

長文お許しください。。。

8 Comments.

ゆんたくさんより

すみません…夜も眠れずに思い余って投稿させていただきました。
体は悲鳴をあげているようですが、やっぱり眠れません。

tommyさん、2箇所へ掲載していただきましてありがとうございます。

母も亡くなってしまった私にとって、父の存在は大きいです。

皆様、アドバイスを何卒お願い申しあげます。

sinちゃんさんより

「ぶーぶー」ですね。効くことは効きます。違うかな?効く人には効くかな?実際やりすぎると心臓肥大などになるケースもあるようです。リンパ系の病気には良く効くと聞きました。ただ癖になってしまって、悪い血が集中するようになるらしく、その部分が重くなるようになると聞きました。自分でやる分には問題ありませんが他人にやってあげると資格のない治療行為になります(沖縄は昔からの民間療法でお互いぶーぶーしあっていますが)ぶーぶーは月に1度コップ18コが限界とかあるんですよ。さすがに18こも抜くと貧血気味になる人も多いです。血を抜くのではなくガス抜きをするとも聞きます。患っている場所からは黒い血が出ます。抜いてはいけない場所(体の前面)などもあります。

sinちゃん(追記)さんより

コップ18個では意味がわかりませんね?ぶーぶーは皮膚を傷つけた後火を点けた綿などをコップに入れて皮膚かぶせてコップの中で酸素を燃えさせることによってコップの中を真空状態にするんです。最近は機械で吸う事もありますが、その時のコップの事です。

wankoさんより

子供が1歳の時アトピーになり、それを聞いた義母はかみそりを持って『だー、血ーとろう。』って、言ったのを思い出した。
年よりは悪いものは血がよごれ表に出てくると思ってます。
90歳のお父様ならその時代の人はそれが当たり前なのかなー。
お父様は全身にしますか?足だけ?悪いところだけをする人が多いので同じ場所なら何か痛みがあったり、かゆみがあったりしませんか?
何が悪くてそうするのかゆっくりきいてあげて下さい。
義父が糖尿になったころ、それとは知らずかゆくなった背中を2日に1度やってました。
モモのところまで滴るぐらい。インスリン治療を始めてからピタッとしなくなりましたよ。
後は、破傷風のことを言ってみては?今でもありますから、破傷風。むかしの人は気にするから、少しやめるかもよ。私が思うに、まったくしなくなることはないと思うので、回数を減らすしかないはず。
あと、1日15日ですが、火の神だけではなく屋敷はやってますか?屋敷の4隅をするとき線香を焚いてませんか?線香は焚いていいとことだめなとこがありますよ。

ゆんたくさんより

sinちゃんさん、wankoさん、コメント・アドバイスありがとうございます。

まさしく、sinちゃんさんがおっしゃる「ぶーぶー」知識・父もかなりあるようなんです。
父の部落には「やぶー」 ←*ヤブ医者ではありません*と呼ばれていた人がいたそうです。
その人が民間治療を施してらっしゃってるのを父は幼い頃から見ていたらしく(家が隣近所だった分、特に可愛がってもらったいたみたい)
「やぶー」先生からの教えもあったり・で、「ぶーぶー」の良さも怖さも
sinさんのコメントにあるようなコップ使用は
「怖いからやらん」そうです。
父はカミソリで傷を作り、携帯ナイフの刃の裏で傷口にこすりつけながら、絞り採ります。でも、カミソリの刃先のとがった部分を時には、かなり深く突き刺すので、出血がひどい時もあります。

父いわく、
「コップを使うと悪いのが集まりすぎてかえって良くない。でも、出口は必要だから、傷の目印は出口と一緒、そこに自然に血が集まってくるのを父ちゃんは採っているだけだから心配ない」
と、あれだけ悲惨な思いをして命を失いかけていたのに、こう返すのですよ…今だに。。。

「血が呼んでくれる・教えてくれる」とも言います。自信満々の笑顔で。

娘の私は現代医療によって生かされているのに…父は、あの病院にやられた事を何らかの形で覚えています。

「病院は儲けジク?・悪くなるのを待っている、良くしてすぐに帰られたら、病院は倒れるさー」まで言う(とほほ)

だから、私にように「病院・病院」している人は『イイカモ』なんだそうです。毎日、このような会話です。ホント、疲れます。。。

wankoさんのお子さんが、お義母さんにやられそうになった(不適切発言・お許しを)出来事・私も何度かやられました。

幼稚園生の頃「背中がかゆい」とただ一言言っただけなのに、母に無理やり押し倒され、父の手によって何度か恐怖体験を受けました。
号泣:でした。
後、「ヤーチュー」も頻繁にやられましたっけ。今でも手の甲に後が残っています(時々はセッカンのためにやられましたが)

幼い柔肌によくもよくも出来たものだな・と今考えても「ゾ?」としますし、今PCやっていても腕の毛穴がチキンになります。

父の世代には「通る話」ですよね。

現在傷を作っているのは足(時々太もも・ほとんどはふくらはぎ)です。
かゆさがあるようです。痛みもあるようです。でも、もう傷口もかなりの炎症になっていて、そのせいだと思うのですが微熱もよく出ます。

「破傷風になるよ!壊疽になって腐れたら足切るんだよ?!何で、こんなにしてまでやるの??!」とすがる様に泣いて聞いたこともありますし、ゆっくり受身で聞いていると行為はますますエスカレートしてしまうのが日常でよくあります。
認めてほしい・と思う父の気持ちに応えるのですが、やる行為が過ぎるので、止める為に大喧嘩になります(ふぅー…ため息出ます)

糖尿は、私が現在、インスリン使用の1型糖尿病なので、アリエル話です。
しかし、時々(ホントはやっちゃいけないのですが、頑固に病院を拒否する父なので) 私の血統自己測定器(針はもちろん変えますよ)で抜き打ちに測るのですが、問題ないんですよ。。。

ただ、私が気になるのは「帯状疱疹・ヘルペス」があると退院後に紹介されて行った皮膚科の診断があった・のですが、病院を信用出来なくなってしまった父の心の耳は閉じたままです。

「どんな病気でも『血』の仕業だから、採れば治る」
の一点張りなのです。

火の神様・についてですが、父の持論

「自分の心に神様は居る」 そうです (あ?)
しかし、私が感心するぐらいちゃんと1日・15日ウサギます。人間カレンダーのようです。私は忘れることもあるので…

火の神様と母の仏壇にはやりますが、屋敷のウガンなどはやりません。批判的でもあります。

父の実父は父が9歳の時に乗り合いバスに轢かれ、寝たきりになりました。脊髄をやられたようで、5年間も苦しんで亡くなりました。

部落一番・の働き者という評判だった実父が事故にあったという話は、財産を持っている父の生家をうらやむ人からすると、よほど話のネタになったらしく、父が通ると、口の悪い大人たちが畑仕事の手を休めてまでも指をさして
「自動車○○の次男ヤンドー」という意地悪な屋号でウワサをされ、呼ばれていたそうですし。。。

悔しくても、耐えることしか子供の父は出来なかったそうです。

必死に看病と家の畑仕事や家畜の世話に明け暮れていたそうで、他の兄弟姉妹は学校も出たけど父は無学だ・と言います。

父の実母は大黒柱を失いたくない・という強い気持ちから、当時ユタの人と頻繁にウガミをしたそうで、その時のお供(荷物持ち)は父だったそうです。
事故現場にも何度も出向き、実父のマブヤー込めもやったそうですが、願いは届きませんでした。

毎日、泣く実母を見て幼いながら父母の助けになることだけをやってきた父だったので、もしかしたら実父を失ったその時から、批判的になったのかもしれません。

また、20歳になった父は徴兵制度から逃れるように・という実母の強い希望により、戦前フィリピンに出稼ぎに行きましたが、現地召集により軍と運命を共にしました。しかし、激戦になり、隊長さんから各自別行動の軍命令と、隊長さんから

「○○さんには大変お世話になりましたね。○○さんは生き延びてくださいよ。何としてもですよ。我々は生きて帰ることは出来ないのです」

と言われ、仲間の皆さんと泣いて別れたそうなんです。

その後、父は出稼ぎ労働で土地勘もあったので、山奥で8年ほど身を隠しながら生きたそうで、フィリピン現地の沢山の友人たちが父の証人としてで軍事裁判にかかった父を助け、無罪で日本に帰国出来たようです。

終戦当時、父の生家には「戦死通知と石」が届き、ユタの人も
「生きては居ない」という判事に従い、実父の墓に入れられ、7年忌の法事も終えたそうですが、生きて帰って来た父を喜ぶ人はわずかだったそうです。幽霊と思ったか、あるいは財産関係か、遺族年金かね・って父は時々寂しそうにつぶやきます」。

人生長い父の心は傷だらけです。
だから、せめて余生をゆっくり活きてほしいのですが、やってる行為は
相反するのです。。。

「長生きしたいからやる」

ガンクゥ父に参っています。。。

ホントに長文ごめんなさい。。。

あの・・・さんより

医学的根拠もないまま「効く」とか書かない方がいいと思うんですけど・・・。やっぱり精神科への受診をおすすめします。

モモさんより

ゆんたく様、心配されるお気持ち、ご心労、察します。お父様は幼い頃からご苦労される内、知らぬ間に心に傷が出来てしまったのではないでしょうか。幼少時から家族を助け、自分の事は自分でどうにかなる、病院も治せる、人を頼らない。尚、お父様の年代なら、男が心の内を相談する事態が弱味を見せる、弱い人間になりたくないと考えてらっしゃるのでは?。病院での不信も余計にそうなってしまった様に思えます。本当は誰かに話したいができないんじゃないでしょうか。ゆんたく様の言う事を聞いてくれないなら、誰かお父様が尊敬、信頼してる人はいませんか?いないなら、一度心療内科に行かれてはどうですか?お父様の心の内を聞いてくれる人が必要だと思います。尊敬、信頼できる人、医師の言う事なら聞いてくれるかも…。心療内科に行くのは恥ずかしい事ではありません。お体も年齢的に免疫力が弱いので、破傷風、又ウィルス感染に繋がると大変です。が、心もケアしてあげた方がいいと私は思います。本来なら外科の医師で話を聞いてくれる人がいればベストですが。勝手ばかり、長くなりすいません。

ゆんたくさんより

あの・・・さん、モモさん、コメントありがとうございます。

あの・・・さん、そうなんですよね、「医学的根拠」といわれると私も
民間療法についてのことは奥が深くて難しいな?と思います。

父が緊急入院した時の担当医は「ぶーぶー」らしきことをやってしまった父に対して、軽蔑と怒りの目でした。
医者の立場からすれば「勝手なことをして!」という意味だったのでしょう。

医師は、傷だらけで赤くただれあがった父の足を診るなり、何も語らず、父をにらみつけた直後痛んだ傷口を思いっきり引っ叩きました。

いつもは気丈な父ですが、その時からボーとしまして食事も水さえも口に入れなくなり、あっというまに意識がおかしくなりました。

娘である私が、何故、私の目の前で医者がこのような行為をしたのに
その時何も言えなかったのか…
意識を失くした父をみながらとても後悔しました。

父は日頃から私に対して
「病院・病院するお前は、自分で自分の体を良くしようともしないで、人まかせにしているが、ホントにわかる医者はほんの少しだ。苦しみでも痛みでも、自分でそうなってみないでもわかる人間はなかなか居ないのだから、病院だから・とか医者だから・とすぐに信用するお前はおかしいよ」
と言われていたのに、実際、親が医者に叩かれるのを目の前で見た私は、父が言っていたその意味をその医者の心無い行為で思い知りました。

その後、意識不明になった父はそのまま放置され、朝になり、思い余った私は転院を申し出ました。
転院するにも、この担当医が出勤してからでないと許可出来ない・と婦長に言われました。
ということは、明らかに父の状態は担当医に報告されず・いや、報告を受けていても無視していたとしか考えられません。
まぁ、夜勤の担当ナースも私の目から見たら、かなりナースの自覚が欠けていたように思えました。
こんな病院で父の命を失うのは嫌だ・と婦長に強く反発しまして、許可が下りる前には転院準備を済ませ、父を担架に乗せました。
結局、父と私の目の前には最後まで姿を現さなかった担当医の副院長でしたが。

父が精神科へ受診をする前に、ホントはこの医者とナースに謝罪してもらえれば、父の心の傷も少しは回復するのかな…と、
あの・・・さんのコメントを拝見して思いました。
その時は、私も、娘として謝らなくてはいけないです。

モモさん、モモさんのコメントを拝見して、涙が出ました。。。
私のツタナイ長文に、お心配りいただきまして心が熱くなりました。
ありがとうございます。
そうなんですよね…、父の心の内を聞いてくださる人がいれば…やはり、私では役不足なのだと思います。。。

90歳を越えた父にとって、目上の尊敬する方々ももういらっしゃらない…母(女房)も居ない、居るのは年下ばかり。。。

信頼出来るキッカケになるはずだった医者・ナースからの仕打ちで、
父の医療に対する不信は強固になってしまいました。
転院した病院の医師やナースの方々の手厚い看護で一命を取り戻した父ですが、その感謝の気持ちを思い出すと、引き合いにあの病院の悪夢も思い出してしまい、「血」を採り始めます。

あんな病院・行かなきゃよかった。

私は幸せものですね。
こうやって心の内を聞いてくださるみなさんがいる。

sinちゃんさん、wankoさん、あの・・・さん、モモさん、
感謝です。。。

tommyさん、ありがとうございます。。。

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