【家系図】第二夫人の子供の序列

= クラウンさん =

カテゴリー違いかもしれませんが、引き続き力を貸してください。

時代的には19世紀の前半で琉球処分前。
どうやらその時の私のお爺さんに奥さんが数名いたようです。それぞれと籍をいれてるのかわからないし、今で言う重婚もあったようで、表現として奥さんでいいのかよくわかりませんが、質問はその子供のことです。

この男に男子が5人居たとし、母と子の生年は以下とします。

第一夫人の子 (1)1805年2月生 (2)1810年2月生

第二夫人の子 (3)1800年生 (4)1810年1月生

第三夫人の子 (5)1805年1月生とすると

長男は(3)で以下(5)(1)(4)(2)なのか
それとも(1)(2)(3)(4)(5)なのか
或いは長男(1)二男(2)で、あと(3)(4)(5)は”子”なのか

ご存知の方いますか?

13 Comments.

クラウンさんより

どぅしぐゎーさん。

私も普通に35142かなと思ってはいるのですが
第一夫人が正妻のような気もして
そうすると家督を継ぐ者は1になるのかなとも
考えてしまうのですよ。。

匿名さんより

うまく説明できませんが、
神人さんから習ったことがあります。
どうみても、
35142だと思いますが…。

匿名さんより

首里・那覇では、

家系・家督は、第一夫人の男子が嫡子(1)・次男(2)

第一夫人以外の夫人(ユーベー・はたべー)の子は、その家系に入りません。

匿名さんより

正室が生んでも側室が生んでも、生まれた順に長男・二男となるけど、嫡子は正室が生んだ一番上の男児、他はみんな世子だったんじゃなかったかな(嫡子が跡を継げないときは世子にもチャンスがある)。

ゆんたくさんより

そっか
第一夫人は絶対なんですね、正妻。
だけど、
長男は第二夫人の男児。
じゃあ、第一夫人(正妻)を見るのは
第二夫人が産んだ男児かな?
沖縄は女の人の地位は関係ない、
男子だけが重要でしたよね。

クラウンさんより

ありがとうございます。
いろんな意見がありますね。王府関連の人、サムレー、ウエーキ、
離島、北部、首里近辺でいろいろ変わってくるのでしょうか。

引き続きお願いします。

匿名さんより

クラウンさん、
琉球処分の時代まで遡ったんですね。
おつかれさま。
首里,那覇は「正妻以外は、家族にあらず」ですか?
知らなかったです。
ちょっと難儀ですね。

匿名さんより

長男以外も    ではないですか。
何らかの事故で繰り上がることはある、かもですが

クラウンさんより

ありがとうございます。
まだまだですが自分が納得いくまでやっていくつもりです。

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