【歴史】うちは沖縄琉球王朝の末裔(まつえい)

= テンペストさん =

タレントで沖縄出身の比嘉愛未さんが、うちは沖縄琉球王朝の末裔(まつえい)だという記事がありました。

うちも末裔だと聞かされていますよ(笑)

末裔だと聞かされているちなーんちゅって多くないですか?みんな親戚かな?

86 Comments.

匿名さんより

記事読みました!
実際に末裔の方にお会いした事ありますが
直系とか色々あるのかな、、

匿名さんより

確かに綺麗だけどあまり名乗ってほしくないよね
俳優の、最終学歴偏差値で最下位だったから。

匿名さんより

本当にきちんと裏を取ってからじゃないと血筋の発言は避けるべきでしょう。
こんな時代なんだから、もし違ってた場合はウソつきホラ吹きと散々叩かれますよ

それに年寄ってこういう事をポッと言い出すから、話半分で
「あ~やっぱり!だからウチの家系はみんな頭もいいし美形なんだね~」くらいで
話しを合わせてあげればいいと思います。

匿名さんより

比嘉愛未さんを偏差値で格付けしないでください。
中部農林高校には、愛未さんがなりたかった 犬のトリマー専門の科があり、人気があって倍率が高い(最近は1.6)ところなんです。
朝ドラのヒロインになったほどのすばらしい女優さんです。仲間由紀恵さん・国仲涼子さんに続く沖縄の誇り。県民が祖先とつながってると思えば、嬉しく思います。

匿名さんより

偏差値格付けは某巨大掲示板より
全国世の中暇人ばかりです
沖縄の人はこんなことしません

匿名さんより

比嘉愛未さんの親戚が職場にいる(101歳のおばあちゃんも知っている)けど、そんな話聞いたことないそうです(^_^;)

匿名さんより

私たちも王朝時代の王様に使えてた人が親戚にいると言ってたよ〜。沖縄、多いね。

匿名さんより

配役でイメージってつくもんだ。
うちなんちゅは綺麗なんだから喋らなくてもいいのにね。よっぽど嬉しかったんだね。

匿名さんより

戦後?家系図作成ブームがありました。

大抵、首里から派遣されたサムレー(侍・士族)に手を付けられた娘が生んだ子供が○○家の始まり。となっていて、そのサムレーが琉球王朝の末裔だったから、○○家も王朝の末裔。と言われています。

匿名さんより

その記事読みました。
おばあの戯言ですね。暇だったから、孫をからかったんでしょう。

匿名さんより

比嘉愛未さん綺麗だし県出身だから応援してるけど末裔云々は「言っちまったなあ!」感ありです(^_^;)

匿名さんより

うちなーんちゅはみんな王家の末裔です。
きっとそうです。
私は、農民の末裔です。
王家の末裔でなくて、良かったと
いつも新聞を読みながら思っています。

猫さんより

300年前の首里城周辺地図に、屋敷の名前などあり

王朝に関わる相関図みたいで面白いですよ。

確か比嘉、金城、島袋は王家筋の支流だったと覚えてます。

岸朝子は本家筋で皇居周りに移住させられ、良家と結婚してます。

知らないからといい加減な事書く人多い。

はいたいさんより

ハイ
私の周りにも祖先は首里とか
琉球王朝の末裔と言う人たくさんいます。

匿名さんより

うちも首里士族と久米何世だかの末裔ですが、比嘉、金城、島袋でもありません。
(翁長でも仲井真でもないです)

匿名さんより

こんな所に?と思うような庶民の墓地が固まった地域に
尚氏のなんちゃらと書かれた碑が立っていたりするから、
比嘉おばーの話も可能性がないでもない。

匿名さんより

隣のブスが同じこと言うより
良いんじゃない?

もし本当でも黙っとけ!と思うでしょ。

あんな美人が言うんだから、
嘘でも許せる~

匿名さんより

アメリカのエステートセール(お年寄りの遺品処分セールなど)で
売っていた絵画の裏にうちなー名前と地名が書かれていた。
戦前の首里かどこかの教会の絵だったかな?
後に沖縄で新聞のある記事を読んでいたらあの絵の作者と
同姓同名のおじーさんの回顧録だった。
久米門中の方で若い頃絵を描いていたというくだりを読んで
このおじーさんの作品だったのかも知れないと思った。
大きな邸宅で大切に飾られていたようで綺麗な状態でした。
購入していればお届けできたかもしれないと後悔しました。

匿名さんより

中国にルーツがあるうちなーんちゅも多いですよ。

それは
久米のあの建物で調べられますよ!

匿名さんより

真偽はともかく、だからと言ってテレビで話すことではなかったですよね

匿名さんより

首里に住んでるだけで、末裔って名乗る人もいますしね
尚家だったらわかるけど、うちな~の名前で末裔って
言われても信憑性が乏しい
そういえば、普天間かおりも琉球王朝の末裔って言ってたよ
本人はあまり信じてないようだけど、本人のおばぁが
そう言ってたらしい
沖縄のおばぁって月日が経つと自分を高貴な人と
思い込む傾向があるような気がする

特に首里の人はそんな人が多い たまたま首里に住んでる
だけでセレブるなっていいたい 
庶民もいいとこだろ

匿名さんより

私もその(末裔)に対して疑問を持った一人ですが、映画の宣伝用のコメントなのでは?
首里王朝の末裔は沢山いるとおもいますよ。
うちも首里王朝の妾の子の末裔です。
ちゃんと物語も聞いて育ちました。

匿名さんより

元職場にも、実は、自分は首里王朝の末裔だと小声で告白された方がいましたな。
その方の名字は猫さんが仰る名字にはありませんが。
(普天間でもないです)

匿名さんより

たしか紋章?があり、聞いたらお婆さんが
末裔って話したって記事見ましたが。
もんし

みそじさんより

途中送信すみません。
紋章あるなら確定ではないでしょうか?
後、何処の高校だろうが、彼女は素敵な
女優さんだと思います。

匿名さんより

家紋のことですかね~
家紋も家系図ブームの時に広まったものが殆どで、こじつけ半分です。

猫さんより

地名に残ってる名前は、位が高い人です。

300年前の地図にも、農家は苗字すら貰えてません。

それと、王族の流れと、久米三十六姓はルートが違いますので

王朝系と言っても、行政を運営したり技術や学問を伝えたのが中国系(福建省)
久米三十六姓です。

幸喜とか太田、古城、その他多数。

匿名さんより

お○カな人ほどお口が軽いんです。ひがまなみ、喋らすな!と思います。

匿名さんより

うちも末裔です。ここに、これまでにあがっている名字ではないけれど。

匿名さんより

時々発してたインタビューの答えも昔から??だったけど、あの頃は若かったから許せた。これからは、、、喋らんほうがいいよ。

匿名さんより

沖縄の3大名字、
比嘉、島袋、金城がトップを占めますけど。
猫さん、本当なの?

匿名さんより

右向けば金城、左向けば比嘉、振り返れば島袋。
沖縄に居て出会わない人はいない。

匿名さんより

俺も阿麻和利の末裔らしい。全く何とも思わんけどな。遠い遠い末裔だろう。だったら沖縄県民みんな阿麻和利の末裔さw

猫さんより

多い苗字は強さの証明です。

私の苗字は殆ど居ない、、、ヘタレなんです。。。今でもヘタレ。。。。

匿名さんより

沖縄って狭い中で子孫を繋いだのだから、言って見ればほとんどが末裔ではないか?

匿名さんより

遺伝子は遠いほど良いと言われるけどね。
沖縄は殆ど近いんだ。
ヘタレがいいよ!

匿名さんより

>遺伝子は遠いほど良いと言われるけどね。

定説すぎるほど定説ですよね。
無意味に反発してる人は「近親交配」「劣性遺伝」で調べたらもう少しだけ物知りになれるよ。

匿名さんより

皇族は皇族。
沖縄とは別格。まさか皇族がずっと東京だと思ってるわけではないよね。

匿名さんより

大さじ、小さじを考案した岸朝子さんヘビースモーカーだったけど
90歳までも病院にも行かず元気だったんだよね
そのお父さん宮城新昌さん

「世界の牡蠣王」と呼ばれた宮城新昌は
1884年(明治17年)沖縄県大宜味村(おおぎみそん)に生まれる
1925年(大正14年)垂下式養殖(すいかしきようしょく)」を考案

牡蠣は
広島が「養殖」発祥の地、
石巻は「養殖技術」の発祥の地
広島では江戸時代から
餌を撒いて収穫を増やすという養殖が行われていた
石巻では現代でも行われている垂下式養殖法が初めて採用されました。
この養殖法を始めたのは宮城新昌という沖縄の人です

匿名さんより

キレイで好きだけど末裔は流石にちょっと胡散臭いと思った、それ以上に中部農林と知ってビックリした。

匿名さんより

うちは、父方が久米門柱なので中国人の末裔です。母方は、琉球王朝時代の瓦職人です。琉球王朝時代の瓦競争?らしいやつで、褒美として土地をもらったそうです。そこに一族住んでます!

匿名さんより

うーん。私が読んだ記事では確か、比嘉さんが何かのイベントに出てて、イベントにちなんで、司会の人に『最近ビックリした事は?』と聞かれ、『実家に帰った時に、おばあちゃんが急に、末裔だと急に言い出してビックリした』と答えた。って記事だったような…。

比嘉さんが、『私は末裔です』と宣言したわけじないし、おバカだとかそこまで言わなくても…。なんか読んでて悲しくなっちゃいました…。

匿名さんより

井伊文子 さん(1917-2004)は、
最後の琉球国王・尚泰の孫である尚昌侯爵の長女。
幕末の大老・ 井伊直弼の曾孫に嫁ぎ、
井伊家の旧領である彦根で生涯を終えた

王家周辺は文書が内外に沢山のこっているのででたらめ言ったらいずれバレる

沖縄の平民は納税するのもきびしかったので明治の半ばまで戸籍はなかった
さきの大戦で役場の書類はほとんど焼失しているので沖縄の平民が物的証拠で先祖をたどるのは難しい、そこでユタさんにお伺いをたてれば
南部であれば大里城主、中部であれば護佐丸や阿麻和利やんばるであれば
北山王の末裔であることをとうとうとのべてくれるでしょう。

匿名さんより

古地図に興味のあるかた

沖縄県公文書館では所蔵資料展「地図と絵図」を開催しています。
ざんねんながら平成28年10月9日(日)までの開催です。
絵図(古地図)から、はるか上空の航空機で撮影した空中写真まで、

入場無料
午前9時~午後5時(閲覧・複写申請の受付は午後4時30分まで)

匿名さんより

沖縄に来て十数年。
家族友人知人、いろんなところで王朝末裔話聞かされた。
比嘉愛未の記事読んで、あぁまたかと思った。

匿名さんより

比嘉愛未、美人で好きな女優だったけど、あの発言にはちょっと引いた・・・
あーいうことは、身内の集まりで盛り上がればいいことだと思う。

匿名さんより

東大出ても舛添のような人もいるから
奨学金という名の借金に苦しむ高学歴プアも問題視されてるし
浮き沈みの激しい芸能界で比嘉さんは女優として頑張っていると思う。
学校も時代に合わせて変化するもの。今は進学校でも元はそうではなかったりするし
農林、工業、商業高校も古いイメージとは違い変化しているでしょ。

匿名さんより

末裔ってだけならたくさんいると思うな
ただ苗字が尚だったり直系の親族あたりじゃないとさすがに名乗るレベルではないよなぁ

匿名さんより

末裔とか分からないですけど、家系図で調べられると思います。あんまりどこかの末裔とか今を生きる自分にとって必要ない。

どぅしぐゎーさんより

ねこさんに聞くんじゃなくて、興味がある事ふ実際に自分で調べてみたほうが良いです
うちは、ねこさんが挙げた名前ではないけど末裔です。ふるーい家系図があります。

匿名さんより

琉球人はみんな、血の繋がりがどこかであるから、全員末裔です!ってことで解決♪

匿名さんより

うちの家も片方は久米三十六姓の流れ、片方は護佐丸の末裔です♪
一族には超有名人が数名います。
小さな沖縄はみんな兄弟ですね!

匿名さんより

呉・佐丸
ゴさんだったんじゃね
琉球人があやまって護佐丸ってかいたら名前だけみたくなったけんど

匿名さんより

私のおばあちゃんもよく、ウチは琉球王朝の末裔だからね〜と言いますよ(笑)
話は合わせますが、信じたことはありません(笑)

高級そうなかんざし?と、くし?みたいなのを持ってきてはそれが証拠といいます。確かに高級だし、相当古いものであることはわかりますが、琉球王朝時代にかんざしの習慣があったか疑問です…(笑)

友達に冗談で、うちのおばあちゃんが〜と話をすると、半分くらいの子が私のおばあちゃんもってばーって言います(爆笑)

沖縄のおばあちゃんは、みんな同じことを言うんだな〜って感じです。
ちなみに友達にも本気で信じてる人はいません。

比嘉さんも笑い話にすればよかったのにと思います。

匿名さんより

あーウチの旦那も似たような事言いますねー(笑)

じーちゃんばーちゃんから聞かされて育った感じなので洗脳されててそんな事ないよと言っても聞く耳持たず。
家庭内だけなら私がスルーすればいいだけなんですが…時々人に言ったりするのを聞くと顔から火が出るほど恥ずかしいです。もーホントやめて欲しい。

匿名さんより

ロマンじゃないですかねー?
もうすでにない、有栖川宮を名乗った詐欺みたいに犯罪じゃないんだから、ふーんでok

匿名さんより

不倫ネタ暴露続きで気持ちわるっ!な最近の芸能界だから
夢を売る商売の女優さんとしては上出来のネタ提供

どぅしぐゎーさんより

第二尚氏 琉球王朝は350年?近く続いたたので
子孫は多いと思います。
1470年?ごろ金丸(後に第二尚氏初代尚円王)

に身内まで滅ぼされた。
第一尚氏(尚巴志)の末柄は少ない
尚巴志長男は養子?に出されたので
その末柄は残ってる、當眞姓とか?かな?

筑登之さんより

尚巴志の長男佐敷王子、次期王位継承者が養子に出されて
弟の家を継ぐ、そんな馬鹿な話はない、話を作るな。

yさんより

私の母方の祖母の親戚❓が琉球王朝のお姫様と関係しててお金持ちと聞きました。が、母方の家庭はごく普通か少し下ぐらいの家庭です笑。もう、祖母も無くなってしまったので、聞くのは難しいですね…。

匿名さんより

↑馬鹿な話はない、って史実として残ってるんだから馬鹿も何もない

我が家も當眞で孫氏として第一尚氏の子孫だけど長男家系の直系ではないし正直末裔なんて珍しくもなく沢山居ます。
なんせ家系図みると兄弟がすごい多くて昔から八人兄弟とかザラにいるので末裔なんて数千~数万人レベルで存在してると思いますよ。
ちなみに長男家系の直系の子孫、平田さんは那覇に存在してますよ、仏壇もちゃんとありましたし尚氏の着物の切れ端も保存されていました。
余談ですがもう一つの直系というか裏の直系と言ったらいいのか難しいのですが正妻ではない(おそらく妾?だが当家は本流だとしている)方の末裔が南城市に存在しています。
こちらも同じく平田姓です。

筑登之さんより

話を作って、それを史実と言ってもなぁ~、紋章も嘘っぽいんだよ。その門中は、まあどうでもいいけどね。

十夢さんより

末裔という一つの言葉からこんなに話が盛り上がるんですね。
一つの言葉で相手を非難したり、中傷する今まさに問題になっているネット中傷ですよ。ほんとに顔が見えないというのは怖いですね。

別に人がどう言ったからどうのこうのと干渉することがおかしいですよ。言わしておけばいいじゃないですか?

ただ、末裔云々はちゃんと系図等を調べてその資料があるかどうかだと思います。
調べようと思えば調べられます。
資料;中山王府発行の中山世鑑、球陽、琉球由来記、琉球国旧記、按司系図、
   他にあると思いますが、私が知っているのはこれくらいです。
   首里王府系の資料もあるはずです。

因みに、約50年くらい前に〇〇家の歴史を調べてもらった報告書があります。もちろん他人に言うつもりもありませんし、見せるつもりもありません。
ただ、自分たちのルーツを知るということで価値があるのではないだろうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です