【家族】亡くなった母に会いたい

= 匿名さん =

母の四十九日が終わり、四十九日の間はまだ母が亡くなった実感がなかったのですが、仕事中や家にいる間、母のことを考えています。
外に食事にいけば、母といったところにいっては最近まできていたなぁとか、買い物するときも母に持って帰ったら喜ぶかなぁとか考えてしまいます。
親戚とか他のきょうだいは私が一人になることを心配していましたが、心配してもらうほど、私は大丈夫だと思っていましたが、寂しさでいっぱいです。
父が亡くなった時より、母を失ったほうが大きい。ずっと、この気持ちが続くのでしょうか?

13 Comments.

匿名さんより

こういう時はカーテン閉めて部屋暗くしてテレビはつけたままでお母様の写真を横にお酒を飲むといい。

匿名さんより

ご愁傷様です、それだけお母様の存在が大きかったんですね、当たり前に空気のような存在がイザ居なくなるとポッカリ心に穴が空いた様になっちゃいますよね、誰もが乗り越えていかなきゃいけないハードルですが、いっぱい泣いて、涙枯れるまで悲しんだ後には、少しずつ強くなってお母様との思い出に微笑む事が出来るアナタに変わっていきますよ、お母様も母親想いのアナタを見て、アナタの母親になれた事をきっと喜んでると思いますよ~夜明けのこない夜はないって言いますよね、その悲しみもいつかは、癒やされますから時の流れに身をまかせて下さい。

匿名さんより

私も最初はよく仏壇に話しかけ、泣いてばかりでした。天国の母も心配だったでしょう。ホント心に穴が開いたようですよね。
私の母が亡くなったのは20年前。
会いたいなぁ。いろんなこと話したい。
お母さんが私たち姉妹を宝と言ってくれてたけど、私の宝である子供も見せたかったなぁ

ヘビメタじじぃさんより

カーテン閉めて部屋暗くして、言葉にできない/小田和正を聞いたらいい。

匿名さんより

スーパーボランティアの方もお母様を中学生ぐらいに亡くして以来、ずっと寂しい思いをしてきたそうです。ボランティアを頑張ってる理由も、天国でお母様に褒めてもらいたいからと涙ながらに番組で語っていました。

主さんもお母様を亡くした傷はなかなか癒えるものではないと思いますが、日々を一生懸命生きる、恥じない生き方をする事がお母様の供養になると思います。

匿名さんより

私も父が亡くなり3年になります。
いまだに、実感が無く、出張にでも行ってるかの様です…
美味しの食べても悲しくなったり…父の好きだった番組見ても悲しくなったり…本当に辛いです。
主さんの気持ちとてもわかります…
皆さんの言うように、時間が経てば、いつか吹っ切れる時が来るのかな…
亡くなったばかりの時は、やる事が多く悲しむ間がなかったからかな…
最近が、ふとした時思い出して辛くなります…(TдT)

匿名さんより

スーパーボランティアの方、「お母さんに抱きしめてもらいたい」っておっしゃっていましたね。本当に寂しさを抱えて生きてきたんだなと思いました。
家族を失った悲しみは消えないけど、悲しみをエネルギーに変えて、世の為人の為に生きる事を選んだスーパーボランティアさんは本物だと思いました。

お駒風さんより

私も大事な人を亡くしました。
今も淋しさでいっぱいです。
主さん、思いっきり泣きましたか?
悲しさを、涙を、我慢すると中途半端になり感情が曖昧になります。
一度思いっきり泣いて悲しんで落ち込むと、また元気になれるそうです。
それと、淋しい悲しいを長く引きずるとお母さんは安心できないのでは?
貴女の幸せと笑顔を望んでいると思いますよ。
たまに思い出して「有難う」と唱えると幸せに一歩繋がらないかな?

りんごさんより

お悔やみ申し上げます。

私も5年前に母か亡くなりました。
私の場合、死の現実と死を受け入れられない自分の葛藤、寂しさ悔しさ後悔、色んな感情が同時に起こり毎日泣きパニックでした。でも生活していく為に仕事や家事をしなければならない。日々、周りに人がいる時は我慢して過ごし、帰ってひとりになった瞬間泣き、お風呂入りながら泣き、寝る前に泣き、といった生活が暫く続いていました。苦しかった。
でも、ある日、私が小学生ぐらいの時に、母から聞いた母の祖母が亡くなる時の話をふと思い出しました。
おばぁ(母の祖母)が亡くなる時、おばぁはあまりしゃべれる状態ではなかったけど、急にぱっと目を開けて「おじぃが迎えにきてる」と嬉しそうに笑いながら周りに言っていて、その何時間か後に亡くなったそうです。
その話を思い出して、変な話ですが、いつか私も何十年後にその時が来たら母に会えるんだな、と思うようになりました。
会ったらまず思いっきり抱きしめて、母の匂いを感じたい。母と話もたくさんしたい、できなかった親孝行もたくさんしたいです。
母の存在は大きすぎて、母の様な人間には絶対なれないけど母を目標にして日々、生きています。

主さんにこころの平穏が戻りますように。

特迷さんより

那覇市内の病院に入院していた義父の思い出。

義父が入院していた病院へ見舞いに行くと
幼かった子供たちは、すぐに飽きてしまうようになった。
入院したての頃は、義父も孫の見舞いに喜んでくれたのだが
やがて意識もはっきりとしなくなり
孫の見舞いも判らなくなっていたから。

「返事はできないけれど、話しかけたら声は聞こえていると思いますよ」
看護師さんの言葉だけが頼りだった。
私ら夫婦は出来る限り子供たちを連れて病院へ足を運び
「オジイサンに挨拶しなさい」と出来る限り声をかけさせた。
仕事を終えてから見舞いに行くのだが
眠ったままとしか思えない病室で子供たちはジッとしていられない。
せっかく病院へ来たのだから、直ぐに帰るわけにもいかず
子供たちを連れて病棟の屋上で過ごす時間が増えた。

屋上にはベンチが設置されており、夕暮れの空の下
入院患者や見舞い客らが夕食前のひと時を過ごしていた。
子供たちを遊ばせながら、頭上が騒がしいので見上げてみると
隣の棟の屋上に、どこからか飛んできた二羽の白いオウムが
じゃれ合いながら鳴き騒いでいた。
お世辞にもオウムはキレイな鳴き声だとは思えなかったが
周囲にいた人々も一斉に屋上のオウムを見上げていた。
全治も近い退院寸前の方や手術を控えた方
これから入院生活を続けなければならない方も
あの場所にいたであろう。
夕闇が迫るなか、やがて入院患者や見舞い客が
一人、また一人と屋上から姿を消していく
頭上からはオウムの鳴き声が鳴き止まず
暗くなるまで聴こえ続けた。
義父のことを考えると
思い出してしまう光景である。

義父には孫の声が届いていたと思う。by内勤

まりさんより

こんにちは
私も母を亡くしました
急死だったので、辛かった
車、台所、お風呂、1人になると泣いてました。
先に母を亡くした友人が
「いつまでも、さみしいなと思いかもしれないけど、悲しさは時間が少しずつやわらいでくれる」と話してました。
3年ぐらいまでは悲しかったですが、だんだんと和らいできました。
亡くなって、7年
毎日母を思いますが、私が毎日を楽しく過ごすことが供養だと、思っています。
お酒は、私は飲まない方がいいかな?とおもいます

泣きたい事ばかりでしょうが、大丈夫ですよ。

4kidsママさんより

お悔やみ申し上げます。
投稿を読んでて、一年前に亡くなった大好きな祖母を思い出しました。
私は今でも泣きますよ。壁にぶちあたった時、こんな時おばぁちゃんだったら何て言うかなだったり、夜寝る前に、ばぁちゃん空から見守ってくれてるかなだったり、ちょくちょく思い出しては泣いてます。本当におばぁちゃんが大好きでした。
始めは早く立ち直らなきゃ、くよくよしててはいけないと自分に言い聞かせてましたが、今は無理して思い出にしようとはしなくなりました。
悲しいものは悲しいんです。今はたくさん泣いてあげてください。
そして、辛いときは周りを頼って下さい。

匿名さんより

亡くなった人を忘れず想うことが最大の供養といいます。
いつまでも心にその人の思い出を留めてください。

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