【謎】なぜ奥武山公園には神社が3つもあるの?

= 神社ぬこさん =

NAHAマラソンに向けて奥武山公園で練習してます。
走ってて思ったのですが、あの公園内に神社が3つもありますよね。
なぜでしょう?

世持神社
護国神社
沖宮

戦争の関係で移転してきた・・・という話を聞いたことがありますが謎です。
どなたか事情を知ってませんか?

5 Comments.

匿名さんより

世持神社
世持神社は1937年(昭和12年)に創建された。社名の「世持」は「豊かなる御世、平和なる御世を支え持つ」を意味する沖縄古語である。1939年(昭和14年)には沖縄県内唯一の郷社(当時)に列せられ、世直しと殖産振興の神社として県内の砂糖業界・農林業界・教育界から崇敬を受けたが、社殿は沖縄戦により破壊された。

戦火を免れた世持神社の神体は、戦後、沖縄総鎮守の波上宮に預けられたが、すでに那覇市は奥武山公園内に社を再建することを決めており、社殿は奥武山、神体は波上宮に分かれる形となった。

現在、波上宮境内には浮島神社の仮社殿と並んで世持神社の仮社殿がある。

沖縄県護国神社
昭和11年(1936年)、日清・日露戦争以降の国難に殉じた死者を祀るために創建された招魂社に始まる。昭和15年(1940年)7月1日の内務省令により内務大臣指定護国神社となり沖縄県護国神社に改称した。

昭和20年(1945年)4月の沖縄戦により社殿を焼失し、昭和34年(1959年)4月に仮社殿を竣工した。同年秋の大祭にて、靖国神社より沖縄戦に殉じた本土出身者の御霊代を奉移した。昭和40年(1965年)10月、現在の社殿が竣工し、11月19日に遷座祭が行われた

創建の由緒は不詳だが、源為朝の時代と史料にある。 正徳3年(1713年)の『琉球国由来記』には、「大昔、那覇港の海中から光が絶えず射していたので、調べてみると霊木であった。これを熊野権現の霊木とし、社寺を建てこの木を祀った」とある。

沖宮
最初は那覇埠頭の地(現・那覇市西3丁目)にあったが、明治41年(1908年)、那覇港埠頭築港に伴い那覇市安里の安里八幡宮の隣地に遷座し、寺は那覇市住吉町に移転した。その時の社殿は琉球における神社建築の典型例として、昭和13年(1938年)国宝に指定されたが、沖縄戦で焼失した。戦後、比嘉真忠に「沖宮を復興せよ」と神託があり、沖宮霊木の根元は奥武山の天燈山と神示があった。昭和36年(1961年)に通堂町へ仮遷座し、同50年、現位置である奥武山公園内へ遷座された。

そのほか、先代宮司によって沖縄各地に伊計神社、宜名真神社、恵比須神社、神着宮が創建された。いずれも御祭神は天照大神である。

おこめさんより

河川の下流域だから氾濫を鎮める役割もあっただろうし
交易が盛んな港でお参りや祈願のニーズが多かったのが理由じゃないかな。
辻とか花街も近いしね。

お駒風さんより

2018年11月15日(木) 16:22さん、完璧じゃない?
私が聞いた世持神社の話は、奥武山公園内の社殿で波上宮神職によって執り行われる例大祭は11月23日で、その日は波上宮から白木の神輿に収められた「ご神体」が運ばれ、サトウキビの茎やサツマイモ、沖縄産の農産物が供えられ、作法に則り御祓いが行われますが、今年は先週末に行われています。
奥武山は昔、離れ小島で昭和の埋め立て事業で今に至ります。
なので、神聖な森に後から運動公園を作ったって感じです。

匿名さんより

沖縄の奥武島(おうじま)
かつて死者を弔った場所であったと云われており、いずれも崇められている。
奥武島 (沖縄県名護市) – 沖縄本島北部にある島で名護市に属する。
    本島と屋我地島の間にありいずれも橋で結ばれているが無人島。
奥武島 (沖縄県南城市) – 沖縄本島南部にある島で南城市玉城(旧玉城村)に属する。
    本島とは橋で結ばれている。
奥武島 (沖縄県久米島町) – 久米島の東にある島で久米島町に属する。
    久米島とは海中道路(橋)で結ばれている。
奥武島 (沖縄県座間味村) – 慶良間諸島にある島で座間味村に属する無人の小島群。
 沖縄県営奥武山公園 – 那覇市の国場川の河口にある運動公園。
    かっては離れ小島かつ墓場

おこめさんより

>沖縄の奥武島(おうじま)
>かつて死者を弔った場所であったと云われており

あら、お墓なの?山を切り崩したら穴がたくさん出てくるかしら?
経塚は開発時に斜面にたくさんお墓の穴があって圧巻でしたよね。
あの穴、1つ1つに大昔の人の遺骨が入ってるのね
ロマンだわって近くを通るときは見てましたわ。

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