= 内勤希望 =さん
大宜味村の塩屋湾を見下ろす山の上にあったホテル友善。
昭和の終わり頃から平成の前半あたりまで営業していたと思われる。
当時はテレビでもCMを流し宣伝を頑張っていた印象がある。
沖縄本島北部ヤンバルの大宜味村押川に近い山の上に立地しており
すごい所に開業したもんだと職場で同僚と話していた。
那覇出発だと、たどり着くのに車で数時間を要する距離なので
名護市以北は余りにも遠すぎるから、不便ではないかと噂していたから。
案の定、営業していた期間は10年程度だったのではなかろうか?
あの場所にオープンしたのは三十年早かったと私は思う。
断然、現在の方が利用客も多かったはずだ。
へき地や不便な場所を探し求める風潮って、昔より増えているよね。
ホテルの跡地が廃墟化していると噂を過去に聞いたけれど
現在の様子はどうなっているのだろう。
昔、泊まったことがあります。景色も良かったホテルだったのを覚えています。
閉まってしまい残念です。
それを言うなら10年ほど前に恩納村県民の森あたりにオープンしたビール館、宿泊施設もある大きな焼肉屋だったけど2年も持たずに潰れた
私も覚えてます、中古の軽自動車が死にそうなエンジン音で坂を上ってたのを思い出しました。
海のないホテルでよかったです。
風のうわさ話によると
?米で一旗揚げた友寄〇善さんが故郷に.錦を飾り開業した
左がかった背中のかめじろー色に染まった若者を集めて営業した
理想社会建設を.目指す若者たちは.ミカン園も開拓しながら
ホテル業も兼務していた。
その後、風のたよりはプッツリ途絶えた。
とっくにない
倒産後、長らく廃墟だった友善の社屋もない
10年以上前に改修工事をしてホテルを売る計画がありましたが資金難の為工事をする事が出来なかたったようです。ホテルを作ってる当時の話をしてましたが、ブルドーザとゆぬむん前にびがーあっちゅしわからんよーと言ってました。
ほてるともぜんは、一度名称が変わり
「サンセットビューインシャーベイ」になりましたよ。
>ホテルを作ってる当時の話をしてましたが、ブルドーザとゆぬむん前にびがーあっちゅしわからんよーと言ってました。
誰か説明してプリーズ。意味わからんよー
大宜味村押川が気になる集落である。
西海岸側の集落は殆どが海沿い川沿いにあるけど
以前から押川だけは山の中にあるんだよね。